父親が死んだのと同じ日の14時間前に東京で知人が死んでいた。その人を送る会があったので、今週も東京に居る。
クリーニング上がりの父親の葬儀で着たばかりの式服にまた袖を通す。同じソックス、同じ靴、先日味わったばかりの妙な気分になってくる。葬儀の最中に感情を押し込めていた作業が同じ服着たら、その作業と感情が甦ってくる。いつもとは違う、狭い響かない部屋へ入って喋っているそんな感じが再び。
1月の31日の朝、病院の狭い廊下の突き当たりの携帯電話通話可能ゾーン。父親の付き添いで2日ほど寝てない頭に、川勝さんが死んだとカミさんへの定期電話で知る。自分の父親がデッドラインをさまよっている正にその時、川勝さんは死んでいた。何日か前にメールくれた彼からの文面もはっきり思い出せる程、最近の事なのに.....。寝てないせいか、ボケた頭では、すっーと入ってこない。どうして?と電話の向こうのカミさんに聞くと 火事でと、TVのニュースでもやっていたと。
川勝さんがNHKのニュースで?........??
電話を切り上げ、飲み込みが悪いまま、また父親の横についた。インフルエンザが猛威を振るう愛知県の病院内で、寝ずの看病、倒れちゃあいけないと栄養ドリンクと胃腸薬、風邪薬を飲み続けた、胸くその悪さが余計に飲み込みを悪くしている、現実感をもって考えられなかった。
TVのニュースも何日も見てないし、PCも開いてない携帯も消したままだったから外部情報は一切なしカミサんから聞いた言葉だけを並べ替えたり、繰り返したりしているウチに、目の前の父親も息をしなくなった。
そのあたりから今日の川勝さんのお別れ会まで、ぼーっと曖昧な一塊の記憶。
以前インタビューされた事、プレゼントしてくれたビートルズ本、送ってくれた各著作本とか今頃になっていろいろと思い出してきた........そうそう、愛用してくれた僕らのベルトダッフルも
これからは毎年、父親の命日は川勝さんの命日でもある。変な縁、こういう仕上がりになっていたんだと実感。法事のタイミングも一緒、ダブル命日だから忘れようがない。
(小林)