書いては止め書いては横に置きでも書いておく事にした、未整理な感情をそのままで。
幸い、気仙沼に実家がある友人の家族は今日になって無事が確認でき、もう一人の気仙沼出身の友人も家族の無事が確認できたとの連絡をもらうが、家は流されてしまったらしい.........。プリウスに乗り、翌日に東京から裏道を14時間かけて走って石巻に辿り着いた人や、やはり翌日に三沢から八戸に入った友人たちなど皆、家族の安否を求めて迅速な行動を取った者ばかり。
揺れ始めはタカをくくって「また地震だ」と舐めていたけど、揺れが長く続く間に過去知っているものとは違うと徐々に思いはじめ、直後確信に変わって足元に居る犬を抱えてオモテに出る。出てからも凄い揺れ、ビルが揺れて出ている音が凄かった、バリバリとかビシッビシッのような音、それと川沿いの桜の枝同士が叩き合って出てる音、それと電線同士のバシバシ叩き合う音、仕事場前の並木道は建物から出て揺れる町並みを見ながら不安そうな人たちや外国人旅行者の一群で溢れていた。いつまでも揺れているようで目眩がしているのか地面が揺れているのかわからず船酔いのような状態になって、一度建物内に戻ろうとするとまた激しく揺れる、目を足元に落とすと自分の脇に不安そうにピッタリと沿って踏ん張っている宮(goo)。怖くてだろうか?吠えもしない、できない。
地震なんて、あってもどうせヒドい事までにはならない、揺れだって、そろそろ収まるんだから慌てない慌てないと、いつもなら地震終了のハズが今回の揺れの長さは、こうした過去の経験で事態を甘く考えているいつものクセを揺れてる時間、コンマ1秒毎に引きはがしてゆく。
その後の、TVの四角い枠で見るには余りに不釣り合いなパノラマ画角ごと波に押しつぶされてゆく街そして、対照的に動かない絵の中で進行してゆく原発事故。もの凄いエネルギーで動く絵ともの凄いエネルギーと闘う動かない絵。動かない絵の中の事態は現在も進行中である。しかも刻々と悪い方向に傾いて行ってる。
電源スイッチ落として、ガソリン買いに走らず、米買いだめず、自分たちゆかりのある場所に直接助けとなるものを届けるべく行動したいとおもう。こうしている間も家族を求めて困難な移動をしている人々がいる。ひとりでも多くの人が再会出来て助かるといい。
個人の無力感を再確認している場合ではない。
どんな事も個人単位で皆が動くから大きな力になる
皆で復興するんだ。
(小林)