ウチの車はプリウスに乗っている人に聞かれたら非国民扱い必至のリッター/3〜4kmの前世紀に作られた怪物。震災直後に見たガソリンの残量はメーターの半分あたり。行列してガソリン買わないことにしたから車も暫く封印。極悪の燃費ではガソリンが半分くらいあっても走行可能な距離は知れているから川上村はお休み(というか行けない)にして標高33.1mにある自宅の高さ50cmほどのカウチの上でウダウダしている。両親が福島市に暮すウチのカミさんはTVとパソコンを同時に見続けながらi PodでTwitterもチェック。福島市関連のニュースが入電する度に難しい顔をしている。80歳に近いカミさんの父親が5リットルの水を貰うのに2時間以上給水車の前で待っている話や,やっと水道が復旧して風呂に8日間ぶりに入った時の話などすこしづつだけど回復して行く福島市内の状況にカミさんの両親の顔や表情が目に浮かぶけどまったく、事態は収拾に向かってはいないようだ。
見えない放射線と理解するには遠すぎる原子力の話。そして、ヒドい事になってもすぐには出て来ない被曝症状。自分たちが恩恵にあずかっていた溢れんばかりの電力を背景にした都会の暮し。そのインフラに乗っかって仕事も遊びも楽しんでいたから原子力発電の愚を今更、兎や角言えない、けどバカだったなぁとこれまでの自分の考え方や行動を反省しながら回りを見渡すと電気をバンバン使うものに囲まれている、ヤレヤレ。
地震、津波は自然界にやられたんだろうけど原発の存在はやってしまった、というか陰ながら支えてしまったというか.........事のように思える。混乱の後、これまで慣れ親しんだ社会のシステムを議論、修正して行くんだろうが、都会で一度手にしたオール電化の夢(便利な暮し?)を手放すには相当の覚悟が必要そう。今回の事故がその"相当の〜"に匹敵するんだろうか?
"便利じゃない暮し" by Tepco
そんな事をここ目黒区は東山(標高33.1m)で考える。
(小林)