業務繁忙期の為 東京に居る。
忙しい時期なんだけど体が忙しいわけじゃあない展示会前のサンプルチェックと修正点の割り出しそう、最終確認を次から次へとしているだけ....行けないとなると行きたい.....あー、行きたいなぁ 山。
まずい、どうやら山間部中毒という相当に曖昧で(山に登りたい訳でもなく、ハイキングでもない)中途半端な対象に禁断症状が出ている。手や体は震えないけど、脳みそは震えが出てるらしく目の前の出来上がって来たサンプルがブレてよく見えない(笑)
サンプルチェックの合間の所在ない時間にWEBをブラウズしてたら出て来た誰かの音楽ブログに『いちご白書をもう一度』の事が書いてあるのに出くわして、そのブログ読んでたら目の前のサンプルや布地や革が散乱と山積みの仕事場で一瞬時間が止まって回りの景色が少しだけ自分を追い越して行ったような気がした。
荒井由美が作ってバンバンが歌って有名になった曲の題名。映画のいちご白書は60年代のコロンビア大学の学生紛争をノンポリだった学生の眼を通して見た1970年日本公開のアメリカ映画。
まだ街やラジオがその歌で溢れる少し前の中学生の文化祭で体育館で、映画を上映したいと先生たちに頼み込んで、遂に見れた思い出のある映画。なぜ当時こんなプロテスト映画を上映させてもらえる事になったのか経緯は忘れたけど体育館の床に座って胸を張って観て、ケツと足が痺れた映画でもある。
小学校低学年の頃は毎日、テレビで機動隊とデモ隊のぶつかり合いのニュースばかり母親について神田の地下鉄からオモテの通りに出ると、催涙ガスが風にのって眼がシバシバ。毎夏居た、三重県は朝明渓谷の登山口あたりの茶屋では学生たちがアルバイトに精を出し夜はキャンプファイヤーの炎の向こうでムツカしい議論をしていた、そんな諦めの悪い純真が山にまでゴロゴロしてた時代でもあった、だから中学生になる頃には学生運動という祭りは終わっているのにマセた中学生だけ取り残されたようだった。取り残されたマセガキにこの映画のメッセージは強烈だった。ラストシーンでの何重にも円形に座り込んでいる学生たちが、ジョンレノンのGive
Peace a Chanceを歌いながら次々と警官隊にボコボコにされながら排除されて行くシーンに持って行き場の無い怒りに震えた、悔しいけど、どうしようもない(そりゃそうだ、学生運動はその頃はもうどこにもない)またしても、マセた中学生だけが残された記憶が残っている。
と、そこで現実に戻された。
中学生の匂いは頭の中から消えて荒井由美の歌だけがバンバンの声と一緒に残った。サンプルの不出来な部分を見つける職業的な目線が戻って来た。山の禁断症状も治まっていた。
TVで見る政治家たちの時と場所をワキマエない闘争状況はひょっとして当時の学生闘争をやり尽くしていなかったからまだやりたいのか、全員あの頃学生だった各政党の顔役たち...........僕らの期待との絶望的なギャップ........
わからないのか、余りに強力な困難を前にして仲間割れを始めてしまった猟犬たち、と言うか元学生たち。もうまわりの事は見えないんだろう。
あの頃の生き方をあなたは忘れないで
と荒井由美が"卒業写真"の中で歌っていたけど学生や運動家だった政治家たちにあの頃の生き方(理想)を思い出してほしい..........
群れた猟犬では何も解決できない。
(小林)