06/13/'10 もう寒くない朝

"森を捜して編"

この森に案内されて足を踏み入れた始めの印象は見通しの利かないツタがからんだ白樺ばかりがぎゅうぎゅうに立て込んでいる、いわゆる過密林だったけどこの森の端に入ってみてピンと来た、ココだ!

子供の頃、毎年休みを鈴鹿山脈の中の朝明渓谷にあった母方の祖父の狩り場小屋で過した。あの時見ていた大人たちのやっていた事をまずは真似して初めて見ればいいと、かぼそい確信だけがあった。

そんな吹けば飛ぶような自信を小脇にかかえながら毎週末、せっせと山方向への宛の無い視察行を繰り返す。

でも、都会ものにどの土地の人たちも分譲地以外の情報はなかなか回っては来ない、訳のわからない都会もんに山の中の土地与えて山火事出されたり山の中で大麻でも育てられたら困る、よそ者は別荘分譲地にひとまとめになっていれば、その土地に生まれ暮す人たちは安心していられるしね、わかるわかる僕らが反対に川上村の出身でそこで暮していたらそう思う。だって、東京からわざわざ来て回りに何も無い土地を欲して回っていると言うと、不思議そうな顔で品定めをされる事が多かった。

だから、場所探しは難航というかなかなか進展がなかった毎週末東京から2時間くらいでいけるいろんな山合いに出掛けてはウロウロ1年半。

北軽井沢
丹沢
道志
箱根
富士五湖
霧ヶ峰
原村
入笠山
湯河原
修善寺
大井松田
野尻湖(最高だけど遠すぎる)

ドコへ行っても希望とは対照的ないわゆる別荘分譲地ばかりでカスリもしない毎週末.....
すこしヤル気も薄れていた頃、日本のヨセミテといわれる場所があると知り、当時カミさんが読んでた本の著者であるタブチ君が棲んでるのと同じ村だと分かってじゃあちょっと遠いんだけど行って見ようと、ただ山を見に行くのもいいんだけど、ついでだから不動産屋も尋ねてみようと廻り目平のキャンプ場視察後、不動産案内に連れて行かれこの森の入り口で思った印象が冒頭の数行。

山主の息子さんが開発をしていて、その山主の人が何にもない村のハズレの山裾の土地を売りに出していた。希望通り、インフラまったくなし。40年ちかくほったらかしの森。目の前には長峰という2000mの頂もある。

高速のICから更に1時間以上、それも週末地獄の渋滞が名物の中央高速利用だから距離も値段も遠いから先方の言い値では納得がいかない。15%ほどの値段交渉を試みるが中々進まない。

うだうだ半年が過ぎて、アキラメ半分で最後にもう一回、その森に行って見るかと出掛けたら森に通ずる一本道で、偶然だけどその値段交渉を渋る山主さんと車でハチ合わせた。一本道の真ん中でお互い相手が誰かもわからぬまま車を降りて先方が我々の品川ナンバーのプレートをみて一言"あんたらここで何してるんだ"と訝られこれこれこうだと釈明したら目の前の眼光するどいオジイさんが売り主の人と判りこういう場所を捜していた事、値段についての印象、人力で出来る所迄やりたい事
などなど勢い込んでハナス、ハナス。

少し和んでお互い車の前にしゃがみ込んで暫し談笑したのち、その眼光鋭い山主さんは最後に"あんた達の言うなりで構わないとセガレに伝えてくれ"とその息子さんの不動産開発者に伝言を言い渡された。セガレにって、こっちは東京から来ているんだからなんで俺らが息子さんに伝えなきゃならないのか不思議だったけど当時は一時的に親子仲が不調だった時期らしい。まさか、それで交渉の進展が芳しくな
かったんじゃあないかと今思うけどまぁ、そんな事はどうでもよろしい。

この偶然の願ってもない急な展開が飲み込めたような飲み込めないような.......
森で和んだからか山のマジックか、すっかり頭が酔ってしまっていて事態が把握しずらくてしょうがない。とにかく、そのまま東京へ帰って息子さんに連絡。なんだかんだと、その後も何ヶ月か時間がかかりオアズケ状態の日々に気を揉んでいると12月になってまたもや急展開、固定資産税が1月1日の所有者に税金が課せられるので、その前に名義を書き換えたいとの事でホイホイと晴れて12月の末、ついに僕らは信州の山裾にある森の所有者となった。

次回は森、取得後のハナシ"森と格闘編"へ

小林

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