今日、7月12日はソローの200回目の誕生日。
のちにWalden、市民的不服従やウォーカーなどを書く人も、200年前の今日はまだ赤ん坊。
200年後の現代でも燦然と輝く、ソローの考えや実践も日本では明治維新前の出来事なんだよな。比べて考えると随分と先進的に感じるがアメリカだって200年前はプロテスタント的なお堅い社会だったはずで、彼はやはり自分の価値感と社会の間でもがいていたんだと勝手に想像している。
もがきながらもソローの放った矢(個人の自由と意思の尊重そして非暴力が軸の)は、この200年間にガンジーやキング牧師、トルストイなどの胸に深く突き刺さりながら、この先の時代もこうしている今日もまた誰かの胸に刺さっているんだ。もちろん僕の胸にだって刺さっている。
日本でも学生運動が盛んだった時代によく使われたワードに"異議申し立て" がある。現状に対しての不満や欲求が原動力だった頃の話。
自分の胸に刺さった矢は"意義申し立て"をし続ける事そして、それは実践されなければならない。社会と相容れない自分の価値観はどこにあってそれはどんな考え方なのかを他人に伝える。難しそうだが、そんな事をずーっとやり続けた男の今日は200回目の誕生日。
今年はそんなソロー年。
(小林)
写真は場内に初登場のノルディスクの白くまテント。自分のじゃないのが残念。
長期間貼って長逗留したくなる重たいテントだけが持つ暮らしの匂い。UL系とは違うパートの温度が上がる。